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小牧・長久手の戦い

~家康の天下を取る 大坂にあらずして関ケ原にあり 関ケ原にあらず 小牧にあり~ 頼山陽「日本外史」

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「長久手合戦図」所蔵者 犬山城白帝文庫

小牧・長久手の戦いは1584年(天正12年)に徳川家康・織田信雄と羽柴(豊臣)秀吉との間で行われた織田信長の後継者争いです。
この頃、全国各地では戦国武将が秀吉方と家康方に分かれ勢力争いが起きていました。小牧・長久手の戦いはいわばその総大将戦ともいえます。

秀吉は、信雄の領地であった尾張国の犬山城を占領。それに対抗して家康は織田信長が築城した小牧山城に陣を置きました。
家康は小牧山入城に先立ち、徳川四天王の一人、榊原康政に命じ、小牧山を土塁や堀、虎口などの防御設備を備えた陣城へ改修させました。
驚くことに、康政はわずか5日間のうちにこの大改修を終わらせたといわれています。

小牧山付近では両者の小競り合いで終始し、同年4月に起きた長久手での戦闘では家康軍が優勢となりましたが、最終的には秀吉と信雄の和睦により、小牧・長久手の戦いは収束を迎えました。

この戦いは秀吉と家康が直接対決した唯一の戦いであり、この戦いを足掛かりとして、家康は天下統一を成し遂げます。
このことから、小牧・長久手の戦いは真の天下分け目の戦いともいわれています。

~神君家康公御勝利御開運之御陣跡~

小牧・長久手の戦いを経て、戦乱の世を収め、天下統一を成し遂げた家康にとっては、小牧山は「勝利に導いた開運の地」といえます。
江戸時代に入ると、小牧山は一般の入山が禁止されるなど尾張徳川家により大切に保護されました。
そのため保存状態が非常に良好で、現在でも当時の堀や土塁が多く残されています。

小牧山に残る家康の遺構

①土塁

家康は土を盛り上げて築く土塁を、小牧山の周囲に二重に巡らせました。
山麗南側の土塁は高さ8mもあり、復元されている土塁としては日本最大級、当時の緊張感をうかがわせます。
山の北側には土塁断面展示施設、西側には当時のままの土塁があります。

②虎口

虎口は城の出入り口です。中でも山の南東にある虎口は「枡形(ますがた)虎口」といい、家康の改修により築かれたものです。枡形の空間は深く掘り込まれ、敵の侵入を非常に困難なものにしていました。

③空堀

家康は秀吉軍の侵入を防ぐため、小牧山の周囲に二重の堀を巡らせました。
中腹の空堀は山頂(本丸)を守るように作られています。

創垂館

創垂館は、愛知県の迎賓館として明治21年に小牧山山頂西側の曲輪に建設された格式ある書院造の建物である。
翌年、小牧山が徳川家の所有となった以後は園遊会等で活用されてきたが、老朽化が進み、令和3年度に保存修理工事が行われ、令和4年4月頃より一般公開を予定している。

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