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尾張一国を統一した織田家の統領信長は、仇敵であった今川義元を永禄3年(1560)に桶狭間の戦いで破った3ヶ月後に、京への上洛の通過地点となる美濃の併合に向けて動いていました。
「そのためには美濃を攻める拠点が必要だ」
清洲城が平城であったこと、南に位置し距離的に遠いことから、新しい本拠地として選ばれたのが広大な濃尾平野の中に位置する小高い小牧山でした。

信長ゆかりのスポット

発掘調査によって発見された石垣や屋敷建物跡により、天下統一を目指す信長がここ小牧山城で近世城郭、いわゆる「日本の城の源流」を築き上げていたことがわかってきたのです。

①石垣

土の城から石の城へ!城郭史上初の石垣を用いた城づくりを決行!
2004年から続けられている発掘調査によって、小牧山城は中世以来の「土の城」で
はなく、革新的な「石の城」であることが分かっています。
山の岩盤を垂直に削って造られた高さ 3.2 メートルの壁と、その上に積まれた石垣も発見され、信長が「のちの城のイメージの基となる新しい城づくりをした城」という説を裏付ける重要な証拠となりました。
Point! 墨書石材
発掘調査では墨書のある石垣石材が出土しました。
調査の結果、墨書は「佐久間」と判読され、佐久間信盛に代表される佐久間一族が小牧山城の築城に関わっていた可能性があります。
→れきしるこまき(小牧山城史跡情報館)で実物を見ることができます!

②大手道

まっすぐに伸びる大手道!
本丸へのアプローチは、南に設けられた大手口から上がり、大手道は直線的に中腹まで登っており、そこから折れて本丸に入る構造を取っています。
この姿が後の安土城の姿に酷似していることから、安土城に先行する城の姿として信長の意識が表れているといわれています。

③曲輪

山に曲輪を形成し、家臣を住まわせた!
城は山全体(約21ヘクタール)を築城とし、縄張り研究では山頂の主郭地区、正面に当たる大手曲輪地区、本丸の西に当たる西曲輪地区、大手口西側に当たる西部帯曲輪地区、西裾にあたる西側谷地区、家臣団屋敷の東部帯曲輪地区の6つの地区で構成されていたと記されています。
現在は木に覆われ全貌を把握することは難しいですが、写真の赤色立体図から多くの曲輪の跡を確認することができます。
特に麓の東部帯曲輪地区は信長の下屋敷と考えられている南西隅のひときわ大きな曲輪を始まりとして、反時計回りに重臣の屋敷と考えられる方形の曲輪が取り囲んでいます。

信長の城下町整備

信長は清須からの移転に伴って、城だけでなく家臣の居宅も移転させようとしました。この信長の構想に基づいて作られたのが小牧山城下町です。
小牧山城の南に展開した小牧山城下町の範囲は南北1.3㎞、東西1 ㎞ で東西方向と南北方向に道が整備されました。
道で区画された内部には短冊形地割が配され、地割の境には下水も備わるような、近世城下町に通じるような都市インフラを持つ先進的な町であったことが発掘調査から明らかになっています 。

信長の愛用した“麒麟の花押”

戦国時代、手紙の最後のサインとして使われていた花押(かおう)。
信長は一生の間に10回も花押を変えたといわれている。
信長16歳の花押は家柄重視。13歳の元服で三郎信長と改名し、後に父信秀が死に、信長が家を継いだ天文18年頃に初期の花押は誕生した。足利様という足利将軍家の花押を意識したもので父信秀の花押に似ていた。

信長21歳の花押は自分の名前。右の部分は「信」の字を裏返して図案化し、左の部分は「長」の部分の草書体を裏返し使用している。ここから庶兄に反旗を翻す信長の意思が読み取れる。花押を変えた翌年、同族の織田信広(父信秀の子・信長の庶兄)を討ち清洲城主となった。

信長32歳の花押は有名な麒麟。この花押は、信長16歳の家柄重視の花押や21歳の名前をもじった花押と違って、中国で“世か平和になった時に現れる伝説上の獣”とされていた麒麟の「麟」の字を象ったもので、これまでの花押から一変して平和への強い決意がみえる。

1565年、覚慶(のちの足利義昭)は次期将軍の座を狙って、各国に支援を願う御内書をくだしており、信長のもとにも届いた。同年12月、信長は義昭の家臣細川藤孝に対して上意がありしだいお供をすると返事をした。その時使われていたのは麒麟の花押である。

この花押から、信長が何を目指し何のために戦おうとしていたかが伝わってくる。
この花押が使われたのは、小牧山城在城時代と岐阜城在時代のはじめ。
それにより、小牧山城は麒麟の城と呼ばれる。

観光ボランティアガイド「信長コース」

信長の遺構を観光ボランティアガイドの説明とともに歩いてみませんか?
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小牧山発掘調査

小牧市のホームページでは、史跡整備に伴う近年の発掘調査によりあきらかになりつつある、織田信長が築いた当時の小牧山城の姿を紹介するコンテンツが充実しています。

信長公居城連携協議会

「織田信長公」の歩みを現代において体感できる広域連携の路を確立し、信長公の居城をキーワードとした共同PRなどで観光振興を図ることを目的として、岐阜市、近江八幡市、小牧市、清須市の四市が連携し、「信長公居城連携協議会」を設立しました。

信長関連情報

日本城郭協会会報誌「城郭ニュース」で小牧山城が掲載!

『信長公記』と小牧山城~信長の奇特なる御巧み~((公財)日本城郭協会会報「城郭ニュース」第148号より)

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城郭考古学者 千田嘉博先生の新著に小牧山城が掲載!

幻冬舎新書より出版されている千田先生の著書「城郭考古学の冒険」に小牧山城が紹介されています!本のオビには「信長の城で今注目すべきは小牧山城」との文句が!!本の詳細はこちら

漫画で学べる!信長を変えた小牧の四年間~信長異考録~

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